16日、飛島を訪問してみちこ便りをお届けしました。8時半に着いたら、帰りは1時の船です。ゆっくり回れるなと思いつつ、盆明けですから人も多いかと期待していました。島の人がバイクを貸してくれましたので、険しい坂も楽に進めましたが、とても暑い日でした。朝はあんなに曇っていたのに。汗をかきながらもバイクで走ると爽快です。「あんたまー汗びっしょりじゃなー」と冷たい飲み物を出してくれる人もいて、それどころか「ちょうど昼を食べるんじゃがー、上がっていきーな」と誘ってくれる人もいて、なんとアットホームなフライイングアイランドでしょうか。遠慮なくテレビで野球を見ながらおよばれ受けました。感謝です。島の人たちの庭にはまだ盆提灯が出されていて、特に目立つのがありました。昔から手作りで下げていたそうです。珍しいのでカメラに収めました。
日別アーカイブ: 2011年8月21日
ジョセフ・ガーソンさん倉敷に
昨年、私たちのNPT再検討会議に向けての署名提出、ピースパレードなど一連のニューヨーク行動をコーディネートして下さったジョセフ・ガーソンさんが、世界大会に参加の後、倉敷に来られました。医療生協を訪ねられ、世界大会の報告会に参加されました。通訳を頼まれましたので、ほかにいなければとお受けしましたが、なかなか大変でした。その後、倉敷市役所で伊藤市長を表敬訪問しました。倉敷市も新しい署名にはサインをしており、広島に子供たちを送るなどの平和の取り組みを強調されました。ガーソンさんは、アメリカの予算のあり方に触れ、60%が軍事費であることを問題と考えていること、赤字財政を解消するのに残りの40%を削ろうとしていることをやめるべきだと考えていること、核兵器製造に関わる政策を転換して国民のための社会保障や教育に使うことを求めていることなどを話されました。また、倉敷市がアメリカのカンザスシティと姉妹都市であると聞いて、カンザスではこのたび住民の反対運動にもかかわらず、核兵器の部品を作る工場の建設が始まっているという新しいニュースも出て、同席者を驚かせました。ガーソンさんの所属する団体は、ノーベル平和賞も受賞していて、移民、難民などの救済事業も行っているとの紹介もありました。30分ほどの短い間でしたが、有意義な表敬訪問になったと思います。
世界大会閉会8月9日
全体会の会場で、原爆投下の11時02分、皆さんと一緒に黙とうをささげました。各分科会の報告や、参加者の声はどれも希望と勇気、未来の開拓に意気込みを感じさせるものでした。核兵器廃絶が人類的課題であることは、すでに述べたとおりですが、広島と長崎に原爆を投下したその原爆の製造に関わって濃縮ウランを作った工場から、被爆した労働者が参加していたことを思い出します。今健康被害を訴え闘っていると聞いていますが、日本でも、原発推進のためなら教育機関を用いてでも安全神話を流す政府に似て、アメリカでも危険を知らせず労働者を平気で放射能にさらしてしまう。何か権力の恐ろしさ、悪の姿を重ねてしまいます。少しでも多くの声を核廃絶に向けて束ねることで世界がもっと平和で安全になることは万人の願いであることを信じます。初めての世界大会参加は、私にとっても大きな節目となりました。閉会の最後は海外代表も、「祈り」を披露してくれたクミコさんも、会場も一体になってWe Shall Overcome を合唱して、肩を組み、来年までの運動を強めていこうと誓い合いました。
分科会後の平和記念公園
朝9時に始まった今日の分科会は夕方5時に閉会しました。一日ゆっくりと時間をかけての分科会は発言者も多く、途中で司会が会場に降りてインタビューをして回るという一場面もあったことから、参加者の多くが自己紹介を兼ねた自分の思いを語ることが効率よくできたのではないかと思います。今晩は女性の集いがありますが、たまった仕事も持ってきており、少し余裕がないかなと不安に思いながら、集いの始まる時間まで、平和記念公園に向かいました。爆心地にはすでに献花する人の多くいて、身が引き締まります。
ラッキーとはこのことです。準備の様子を見に来られたのでしょうか、それとも打ち合わせに来られたのでしょうか、働く人たちにやさしく声をかけながら歩いておられる田上長崎市長にばったりお会いしました。思わず「昨日のごあいさつに励まされました。私たちも頑張ります。」と声をかけ、一緒に写真を撮りました。なかなかないことですね。少しうれしくなりました。
原水爆禁止世界大会8月8日分科会
核兵器をなくす取り組みを、自治体で住民とともにすすめていくために全国の教訓と課題を交流し学ぶ分科会に参加しました。岡山県からは、原水協の事務局長をしている平井さんが司会を務めながら、レポーターとしても壇上に立ちました。確かに岡山県は、自治体キャラバンに取り組みながら、県下の自治体すべての首長、議会議長に署名を頂いており、昨年までの広く各地で市民運動で署名運動に取り組んだ流れが今年の取り組みに反映されていることを感じました。
レポート発表後の発言も活発で、議会の取り組み、地域原水協の取り組み、被爆者の取り組み、それぞれの角度から学ぶべきところがありました。特に、福岡の吉崎幸恵さんの発言は語り部の取り組みについてでしたが、幼児期の被爆体験を歌や詩の朗読で伝えている様子を再現されて、本当に心に響くものでした。小学校で、また、被爆者のアメリカ語り部ツアーの体験も話されながら今後の取り組みを、生きて語ることのできるものとしてその義務感から頑張っていくとのお話にも感動しました。また、ある青年は、生きて被爆者の話が聞ける今の僕たちが最後の世代だから何かをしたいと、初参加の決意を述べられた声に会場から拍手が起きました。
原水爆禁止世界大会8月7日開会式
8月7日から9日まで、長崎市で原水爆禁止世界大会が開かれ、初めて全行程参加しました。7日は開会の全体会です。国際色豊かにリレースピーチがあり、連帯と共同行動の発言に力がわきました。特にセルジオ・ドアルテ軍縮担当上級代表が代読した国連事務総長のメッセージは、国際平和や安全保障が核軍縮の前にあるのではなく、核軍縮そのものが国際平和と安全保障に大きく貢献するのだと言い切りました。まさに私たちの運動がそれであり、この運動がどんなに世界の危険な流れをせき止める大きな力になっているかを実感させるものでした。メッセージはその目標に向かって私たちとともに歩み続けることを誓っていました。これは偉大なことだと感じました。
また各地からの発言も感動を呼びました。特に東北からは、困難な時期を乗り越えて多くの参加者が来ていることに驚きもし、報告に目頭が熱くなるものを感じました。人災である福島原発の事故からも決して放射線被害に苦しむ人をこれ以上出してはいけないと決意させられる力を感じました。こうしたことをよく踏まえられて、長崎の伊藤市長は安全神話が当たり前のようになっていたこれまでを深く反省して現実を見直し、核廃絶を求めていく姿勢を明確に示されました。この点において管首相の広島平和記念式典での挨拶と大きく核廃絶への姿勢の差が出ていると感じました。