日別アーカイブ: 2015年5月22日

備中鍬にときめく?

DSCN08285月18日付の全国商工新聞8ページ「随想」の見出しに「ん?」と目を引かれ一気に読むとこれがオモシロイ。歴史など社会系に疎い私でもなるほどと、うなづいてしまった。筆者は黒澤いつき氏で、(明日の受有を守る若手弁護士の会共同代表)という肩書の女性です。華々しいNHKの大河ドラマの主人公よりも、見えない部分でそれを支える周辺の民の声や運動にこそ人間の歴史を作り上げてきたエネルギーを感じているというわけです。ぜひご一読を。いつもは一面だけをざっと読む私ですが、今日はなぜかめったになく隅々まで目を通しました。黒澤さん、あなたの歴史エッセイなら私はきっと読みたいと思います.

そう言えば、亡くなった夫も人物史観と暗記学習を批判していましたっけ。

 

4月27日国連・女性の集会・平和シンポジウム

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(写真上)27日、9時会館の国連を訪ねると、NPT関係者が別の入り口からどんどん入って行ってました。私たちは9時になるのを待って入場厳しいチェックを受けてまるで入国審査のようでした。写真は国連のシンボル「無用の拳銃」

(写真2・3)10時から始まった女性の集会では、マーシャル諸島、カナダ、日本、アメリカ各平和団体の報告と交流、決意表明が行われ、熱気に包まれました。昨年笠岡を平和行進で訪れたソフィアも参加発言し、「ノーモア広島、長崎、今でしょ!」と締めくくり、大きな拍手がおこりました。隣接するセントラルパークでランチを頂きました。

(写真下)同じ会場で、昼は歌声交流、2時からは平和のシンポジウムがあり、被団協の坪井氏、国連軍縮担当上級代表、米平和友好協会などのパネリストによる発言が同時通訳の対応で行われました。「市民的な草の根の運動が必ず世論を高みに押し上げるだろう」との高い評価を頂いて励まされた気がしました。終了後外で上級代表とばったり出会い、コーヒーにお誘いしましたが時間がなく、次の予定に向かわれました。

私はこの日、メガネが壊れ、ランチの後、歌声を楽しむ暇もなく、市内を歩き回り、メガネ修理に奔走したのです。やっと修理しシンポジウムに間に合いました。その日の夕食を3人の班員と共に韓国料理を楽しみ、ホテルでくつろいでいると、「大変!レストランにカメラを忘れた!」と班員から電話がありました。一難去ってまた一難です。レストランに電話をすると、とっていてくださり、本当に助かりました。

行進⇒国連3

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(写真上)「うらじゃ」の化粧はこんなですから。氏平県議(右端)も真剣に踊りました。

(写真中)国連前のハマーショルドパークに積み上げられた署名は6、336、205筆です。集会後目録がNPT議長と国連軍縮上級代表に手渡されました。1万人の列の後方にいた私はセレモニーを目にできず残念でした。

(写真下)国連前には「被団協による原爆パネル展が5月末まで1階のロビーで開かれている」ことを示す大ポスターが掲示されていました。笠岡から参加の土屋先生は、ここで語り部のお訴えをされます。

この日、早朝の市内散歩も加え、2万歩歩いていました。とにかく疲れました。

行進⇒国連2

IMG_2419私はN3班13名の班長を担っていましたが、なんと、N4班に前回同じ班だった淡路島の市議Kさんがいました!懐かしい!ちなみに私は「うらじゃ」のはっぴと、アドハウスからカンパされた平和Tシャツを着ています。

 

行進⇒国連1

署名―行進―国連 (8)ユニオンスクエアーでびっくり!中学の同級生にばったりでした。アメリカ横断しながら核兵器廃絶を訴えて参加したM君です。兵庫県から参加。

 

 

 

 

核兵器なくせ、この地球上から

4月26日、午前中の市内署名行動を終え、午後から約一万人が列をなし、ニューヨーク、ユニオンスクエアーから、国連目指して行進しました。日本からは約1000名が集結しました。署名―行進―国連 (11)岡山県参加者24名は「うらじゃ」を踊りながら周囲のニューヨーカーを巻き込んで行進し、元気いっぱいでした。「歩くだけの行進は面白くない。踊りでも何でも元気が出るパーフォーマンスを!」と事前会議で訴えたのは実は私。「それじゃー、うらじゃはどう?」と若者たち。おかげでニューヨーク行進の中で一番目立っていました。