石川康宏さんのブログから抗議文の適切なひな形を見つけたと、友人からコメントが届きました。多くの人の声が、電話、Fax,手などで届けられる子ことを願ってお届けします。(石川氏「自由に使って下さい」のコメントあり)ーー雛形・参考例ーーー
日本維新の会共同代表
大阪市長
橋下徹 殿
貴職の「慰安婦は必要だった」、「米国司令長官に風俗業を活用するように」
などとする暴言に断固抗議し、発言の撤回と謝罪、および、
すべての公職を今すぐ辞することを強く要求する。
2013年5月15日
住所
氏名
以上です。
コメント頂いた白井先生に感謝します。
コメントに投稿したのが、何処へ行ったかと思ったら、伏流水の湧き出るように、本文として出現!しました。(笑)
大いに活用されるといいですね。
伏流水といえば、この数日、水に関して多忙でした。
まず、自然エネルギーの活用を促進する会の活動です。
県の企業局の工業用水道事務所に太陽光発電の見学に行き、ついでその足で、湛井の高梁川からの水の取り入れ口に設置された「小水力発電機」を見学に行きました。
水道事務所は、高梁川から取り入れた水から、粒子を沈殿させる貯水槽の上に、発電パネルを覆い詰めたものでして、槽への日当たりがパネルで遮蔽され、藻や草が生えるのをよく抑制でき、粒子を堆積させるプラスチック板も日当り遮断で劣化せず、電力消費のピーク時(昼から14時ごろ)の外部電力消費を削減でき、とメリットが多々あるとのことでした。
湛井の小水力発電は、公募での応募で三菱の設備が設置され、試験運転をしていました。水は、水利権の問題で手続きがかなりかかるとのことで(関係者に設置の合意を得ることなど)、市民が感嘆に取り組めないようです。ただし、いろいろ使った後で、最後の排水として川に戻す所では、もう誰も利用しないので、設置は比較的容易にできるはず、とのことです。
伏流水の話題のもう一つは、DVD鑑賞です。あくる日、「私たちのまち倉敷を考えるつどい」のプレ企画として、みんなで観たのです。
これが、ご存知でしょうか、『木を植えた男』で、荒廃した山地に黙々と何十年もどんぐりを植え続けた羊飼いの話で、やがて森ができ、涸れていた川に水が戻り、泉も湧いて(伏流水もでき)、人々も暮らし笑いも戻る、という、感激的な物語です(アニメーション)。
話の原作はジャン・ジオノ、絵はフレデリック・バック、解説が高畑勲、です。
高畑さんは岡山空襲にあっていて、かつて、憲法集会で話を聞きました。ちょうど、文部省が「心の教育」なるもの、など、教育内容に進入してきたころで、高畑さんの辛口の話が大いに気に入りました。「心を開いて」などと、文部省は言うが、とんでもない、というものです。
えっ、と思うかも知れませんが、こういうわけ。
つまり、日本人はナイーブというと、素直で純な、というようにほめ言葉として使われるが、フランスではナイーブといえば、成長の不足、成熟していない、という、むしろ笑いものとしての対象を指す、と。心というものは、容易に人にさらさないものとして発達してきたものなのだ、というもの。こういう、本質を突いた辛口の考察を、私は大好きです。(高畑さんは、専門が、仏文です。)
目はどうなのですか。
よく、鮮やかに見えるようになったの? ことほぎますよ。よかったですね。