1月5日は恒例の桃太郎杯応援に岡山に出かけました。90チームを超える参加ということで、例年に増して熱気が感じられる大会でした。会場に向かう卒業生とも前日再会し、懐かしいにおいの濃い大会でもありました。知っている子供たちの参加はもうないけれど、山陽高校での教育に半生を注いだ思いが子供の応援へと駆り立てます。
「あしあと」カテゴリーアーカイブ
初めて見た実物の赤紙
「私は本物の赤紙を持っています。」夕方私にかかってきた電話は、お年寄りの男性の声でした。笠岡母親連絡会が12月8日に反戦平和を訴えてスーパーの前と駅前で「赤紙」を配ったニュースは2紙に掲載されました。それを見て、1枚送ってほしいというものでした。早速送ると、年が明けてたずねてこられました。「貴女が見たいと言われてたので、私のをカラーコピーしてきました。」と言われ、当時の話を伺いました。赤紙は私達が配っているものほど赤くないこと、戦争鼓舞する日本の報道とはうらはらに、サンフランシスコから発信される日本語の戦況放送をキャッチしながら敗戦の予感を強く持たれていたこと等など・・・それでも「おめでとうございます。」と市の職員に渡された赤紙に、仕方がないという思いを持ちながら「ありがとうございます」と答えた彼の気持ちはどんなだったろうと、私は静かに語る口元や、柔和なまなざしを見つめていました。
折りしもテロ特措法の強行再可決で、日本の平和は国民の意思とは逆行して脅かされている様が彼の徴兵の話と重なって見えました。
1月13日、笠岡母親連絡会は19人の出席で手作りおすしを食べながら楽しく新年会を開きました。この話の紹介で、今年も平和を守りながら、母親の願いをかなえる為、さらに前進しようと心を一つにしました。
(ひのつ議員の原稿を代理投稿しました。お手伝い)
ねずみの絵遊び
8日赤紙の配布
12月8日は太平洋戦争開戦記念日。多くの若者が赤紙一枚で徴兵され、全国で350万人、アジア2000万人の命を奪いました。「いのちを生み出す母親はいのちを育てまもることを望みます。」をテーマにさまざまな活動を続けてきた母親連絡会会員6名はこの日、赤紙のコピーと平和のお訴えを書いたチラシを街頭で配りました。土曜日とあって、スーパー前も、駅前も人通りの少なかったこと。それでも駅前商店街も含めて500枚を配りきりました。受け取った高校生は、「12月8日」が記念日なんて知らなかった。戦争なんて味わいたくない。してほしくない」と応えていました。
後日報道された新聞記事を見て、電話で「私は本物の赤紙を持っています。配られたものを見せてほしい」という連絡が入り、早速送って差し上げました。
今年は反応があって心強かったです。
子供達としめなわづくり
5日、毎年5日には小学校6年生の皆さんと一緒にお正月のしめ縄作りです。お年寄りの皆さんに教えていただきながら、6年も続けている私はまだまだ初心者それでも子供達の指導員になれました。
ふれあい芸能祭
施設訪問でボランティア
紅葉のカーテン
最強エコ自動車「ヘラクレス」
北木島で
21日、北木島に「みちこだより」を配りに出かけました。偶然、空き家対策で入居者のために固唾怪我行なわれているところに出くわしました。地域の人たちの話によれば、東京から退職した方の一家3人が転入してこられるとのこと。地域に溶け込んで、島の生活を楽しんでいただきたいと思いました。
ところで北木島中学校の生徒は4名です。小学校の統合以来、若い人たちの島離れが相次ぎ、島の学校の統廃合が、島の振興に歯止めをかけています。飛島の中学校廃校で島を出て行く人達が多くなったことですでに実証済であるにも関わらず、教育委員会の「多くの生徒達の中で切磋琢磨することが必要」という言が一体どういう結果をもたらしたかを知る必要があります。。