投稿者「ひのつ倫子」のアーカイブ

ジェジェッ!境内にイノシシが!!

まさにジェジェッ!!です。今日午後4じごろ、どこから現れたのか笠岡市生江浜厳島神社の境内にイノシシが現れ、地域の人達を驚かせました。今までこの地域でイノシシが出たことは知る範囲ではありません。警察、市農政課、猟友会、消防団など皆さんが集まって、広い民家の庭に追い込まれたイノシシを捕まえるべく取り囲んでいました。猟友会の人達によれば、これだけ広いと、犬が到着してからでないと捕まえられないそうです。6時半、猟犬の要請をして今待機中です。これからの捕り物に地域の人達が集まっています。それにしてもどこから来たのでしょうか?予想としては、神島にもいるそうですから干拓を横切り、皿山から生江浜にたどりついたように思えます。近年にない騒動でした。

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花満開のオープンガーデン

ご近所の素敵なお庭が今年もオープンガーデンでご招待を受けました。歩いて散歩ぐらいならと、安静にのレベルもわからず、友人を誘って訪問しました。あちこちに素敵なものを見つけて久しぶりに癒しの時間を持ちました。

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腹話術の福ちゃん初登場で交通指導

生江浜地区の老人クラブは60歳以上会員です。16日の総会に誘われました。退院後2日目だったので、少し不安でしたが、座るだけならと出かけました。腹話術を使っての交通談義が途中初披露され、みんなを楽しませていました。まちづくり協議会の職員さん、なかなかやるじゃなーい!とても身近に感じられ、良い取り組みに思えました。応援します。

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15日退院、わずか10日の間になんという変化!浦島太郎の気分です。

病室では外の様子が実感できません。15日に退院しましたが、庭の変化にはびっくりです。熟れて今にも落ちそうなサクランボ、咲ききって両手を広げたシャクヤクの花、枯れてしまったジャーマンアイリス、熟れ始めた苺、花が散り、ハチの羽音もしなくなったタイム、びっしりと実を付けたプルーンの木、霜囲いの袋の外にはみ出て大きく成長した苗、伸びきったアスパラ、はち切れそうに膨れたスナックエンドウ豆・・・・それでも花瓶に活け、サラダにして自然の恵みを味わいました。やっぱり家がいい!

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人を人とも思わない橋下大阪市長に抗議の声を送ろう

石川康宏さんのブログから抗議文の適切なひな形を見つけたと、友人からコメントが届きました。多くの人の声が、電話、Fax,手などで届けられる子ことを願ってお届けします。(石川氏「自由に使って下さい」のコメントあり)ーー雛形・参考例ーーー
日本維新の会共同代表
大阪市長
橋下徹 殿

貴職の「慰安婦は必要だった」、「米国司令長官に風俗業を活用するように」
などとする暴言に断固抗議し、発言の撤回と謝罪、および、
すべての公職を今すぐ辞することを強く要求する。
2013年5月15日
住所
氏名
以上です。

コメント頂いた白井先生に感謝します。

維新の会石原代表『橋下は間違っていない』と認める発言、あなたもですか?‼

ヒットラー的で怖いと思っていた維新の会はこの度の橋下市長、石原代表共にさ前近代的な女性蔑視、人権無視の姿勢を露呈しました。憲法9条を変え、日本を戦争できる国にしようと、自公政権成立の右翼的先鋒の役を果たした維新の会の本性が発言に表れています。怒りの声を、皆であげましょう!

許せません、橋下市長発言!!

あなたは、公人にありながら、言いたい放題の人です。『従軍慰安婦制度は当時、必要な制度だった。当然だ。』と。自治体の長としても、元弁護士としても、人権感覚ゼロです。こうした人権蹂躙発言は撤回し、謝罪すべきです。

福島に行った市民病院医師

 

笠岡には見られない単身の山です。

こちらでは見られない形の山です。

 福島は会津若松市に、笠岡市民病院から「僕が行って何かしなければ」と、震災後に向かった先生がおられます。なぜか、会わなければという思いに駆られて、お訪ねしました。こんなに遠いとははじめ思ってなく、郡山から1時間半もかかりました。電車に乗り換えて走る窓の外に、電車が右にカーブした時突然目の前に磐梯山が見えた時には山ってなんてきれいなんだろうと心を揺さぶられました。

外科の戸田先生にやっとお会いできました。「震災のニュースを見て僕がいかなければという思いになった」問いwれます。まさに天の声でした。福島の対策本部から西会津の診療所に来られました。

外科の戸田先生にやっとお会いできました。「震災のニュースを見て僕がいかなければという思いになった」と言われます。まさに天の声でした。福島の対策本部から西会津の診療所に来られました。

会津大学の甥っ子も会いに来てくれました。何年振りでしょうか。震災の年の入学生は入学式も、授業の始まりもしばらくはめどが立っていませんでした。

会津大学の甥っ子も会いに来てくれました。何年振りでしょうか。震災の年の入学生は入学式も、授業の始まりもしばらくはめどが立っていませんでした。

陸前高田まで南下

この向こうに海が広がる

この向こうに海が広がる

釜石、大船渡、陸前高田とリアス式海岸を南下しました。道の駅などに立ち寄るとにぎわいがあり、生活が感じられました。なのに、ここに人の生活の営みがあるのかと疑いたくなるような無毛な光景ばかり。見る人をも不安にさせる風景です。

土蔵だけがのこっていました。

土蔵だけがのこっていました。

 

 

 

 

 

 

少し坂道を上ると、津波がここまで来たという標識が見えます。

少し坂道を上ると、津波がここまで来たという標識が見えます。

 

 

 

津波に現れた海岸線の残骸がそのままに

津波に襲われた海岸線の残骸がそのままに

まだまだ載せきれない写真がいっぱいです。